創業までの道のり ハウジングプラザ 福岡・北九州エリアの住まいのトータルハウジングカンパニー

目指す企業像

1964年、北九州市門司区にて生まれる。
私は子供の頃からコンプレックスの塊であった。

それは自分の家が悲しくなるようなボロ家であったから。

誰が見ても明らかに傾いた家で一家3人が住んでいた。
わずか3部屋の狭い家は倒れないように何本ものつっかい棒でささえられ、みすぼらしい姿を呈していた。子供とはいえ、プライドはある。
それが故に友達を家に呼ぶこともできず、ただただ悲しかった。

しかし、そのコンプレックスはほどなく消えた。

小学校5年生のとき、父が家を建てた。
新しい我家に足を踏み入れたときの喜びは表現できないほどであった。
新しい畳の匂い、まっさらな柱、あの興奮は今でも鮮明に覚えている。

ところが、その喜びは再び悲しみに変わる。

あろうことか、その家が雨漏りの絶えない欠陥住宅であったのだ。
原因は構造的な問題で、どの業者に何度修理を頼んでも雨漏りは直らない。
家を建てた業者はのらりくらりと逃げ回り、そのうちどこかへ消えてしまう始末であった。

以前のボロ家に比べ、雨漏りくらいは我慢ができた。
しかし父のことを思うと悲しさが溢れた。
父は我々家族のため、長年地道な会社員生活で懸命に資金を貯め、やっとの思いでマイホームを建てたのだ。
それが修復不可能な欠陥住宅であったなんて・・・。
私はそのとき子供心に思った、

「家づくりに関わる人たちはなんていい加減で、無責任な連中なのか」と。

コンプレックスは建築業界に対するぬぐいきれない不信感へと変化していった。

朝から晩までラグビーに明け暮れた学生時代を経て、私は自然と建築・不動産業界を選んでいた。
あれほど忌み嫌っていた業界なのに・・・。しかし思えば当然のことかもしれない。
なぜなら私には建築業界で「これだけは、やってはいけない」という確かな道しるべがあった。

もう誰にも父のような悲しい思いをさせてはいけない。
そう、私がとるべき道は、あの雨漏りから決まっていたのかもしれない。

やがて25歳で独立して不動産仲介からリフォーム、新築まで、住まいに関することならどんなことでも対応できる「トータルハウジングカンパニー」を目指してハウジングプラザを設立した。

ハウジングプラザの代表として、多くのお客様と接するうちに感じた、住まいは家族の笑顔を包み込む器であると。
極端なことをいえば、家族が幸せならば、器はどうでもいいのかもしれない。

実際、私も決して不幸ではなかった。
父を敬い、母を愛し、家族仲良く暮らした少年時代は、私の人生に欠かすことのできない大切な1ページである。
とはいえ、ボロ家のコンプレックスに泣いた記憶も、父の無念を目の当たりにした事実もまた、消し去ることはできない。
主役は、あくまでも家族。
だからこそ、家族の幸せを支える脇役として、しっかりとした住まいが必要だと思う。

家族の歳月の中で、とりわけそれが必要なのは、子供たちがすくすくと育つ、子育ての時期なのではないだろうか。
成長期の子どもたちを、しっかりと腰を据えて育てる真新しい舞台。
そんな住まいをつくりたい、と考えるようになった。
子どもたちの笑顔を見守りながら、安心して家族の歳月を刻んでいく住まいを。

私の考えはいつの間にか変化していた。
「これだけは、やってはいけない」から「こんな住まいづくりをしたい」へ。

株式会社ハウジングプラザ
代表取締役 松本元吉